大野教会

projetdelundi2009-05-10

アクセルを自然と踏み込んでエンジンのうねりがひときわ高くなる急な砂利道。その先にとても小さな石積みの教会が見えた。
中に入ることはできないが、ドアの窓からのぞいてみると、20畳ばかりの畳敷きの広間が祈りの場所となっている。
山間の村の狭い畑の中にぽつんと建っている。色とりどりの火山岩を積んだ石壁がとても印象的である。これもド・ロ神父が信徒とともに建てた手づくりの建築だ。
整然とした立派な教会もその偉容に驚かされるが、このこじんまりとした教会に感じる敬虔さはまた別のものだ。
石積みという結果としていま見えているものは、ひとつひとつ人の手で石を積み上げていった課程そのものにほかならない。すべて手作業で、生活の合間にいつ果てることもなく完成まで毎日毎日石を積む人たちのことを考えてみると、教会を建てることはきっと祈りそのものだったのだろうと想像される。
こんなちいさな集落にも教会があるのは不思議な気がしたのだが、それは交通の発達した現代の感覚にすぎない。いまこの教会は使われておらず、信徒は隣りの出津教会でミサを受ける。かつて山に阻まれたこの集落では日曜日ごとに隣りの集落に行くことはとても困難であって、だからこそちいさな村でも自前の教会がぜひとも必要だったのだ。世界から孤立したような集落で、聖堂は人々が身を寄せあうようにして集う切実な拠り所だっただろう。手近な石で建てた手づくりの教会が輝くようにうつくしいのは並大抵ではない心が籠っているせいなのだと思う。