台湾閣

projetdelundi2007-12-11

何日か前の新宿御苑のつづき。
沖縄で見た建物にそっくりの赤い屋根瓦の古い建築が建っていた。
ある台湾人の手による御涼亭という建物らしい。
屋根は、一枚の紙の対角線上の角を両手で持って捻ったみたいに奇妙な曲線を描いている。
すでに夕刻近い時間であった。
建物のなかへ吸い込まれた。
テラスのようになった内部から日本庭園が見えた。
建物の柱や天井が作る額縁の効果で、景色が動く絵のように感じられた。
奇妙な感覚を覚えた。頭の上に静寂が落ちてきた、というような。
木々のざわめきや街のノイズや人々の話し声が頭上に渦巻いているのにそれらは遠くにあって、わたしだけが静寂のなかにいた。
風景が親近感を失い、意味を失い、記憶の編成がばらばらになった。
池のなかにあべこべの世界が落ちている。
燃え盛る紅葉の錦が水面に映し出されているのだが、それはなぜか陸のうえの紅葉よりさらに鮮やかで、水面に揺れながら映っているほうが本物の紅葉ではないかとアリス的錯覚に陥る。
水は、中島の松を、空を、風を、世界のあらゆるものを映し込んで、何色とは言葉では名指せないほど深い色をしている。
そばにいる妻にそれを伝えようとして話が噛み合ず、ますますわたしだけが別の時間へと押し流されているのではないかという感じがした。
これは先日の阿佐ヶ谷住宅につづいて静寂系現実離れである。
日本庭園とは静寂を作り出す装置ではないかと思った。
それまで大木や並木や芝生やら植物のアトラクションはさんざん巡ったのにそこで感じられたのは気持ちの昂りや生命の弾むような感じであった。
この庭園を見ているときには、心のありようがちがうベクトルに変わっていた。
枯山水の庭が禅宗の寺院に作られることと関係があるのかないのか。