現実離れ

 テレビのない暮らし②

テレビを捨てて3週間ほど経ちます。今では全く自然なこととなりました。むしろ捨てることで得られる豊かさってあるんだなと感じます。(各人捨てるものはちがうと思いますが・・) メリットとして実感したことは、 ◉テレビがなくなると、一家3人居間にいて…

 時間

子供が3歳になるとだいぶ育児が楽になってきた、と最近実感する。 一日があっという間に過ぎてゆく。皆そうなのだろうけど、やりたいことは山ほどあるのに全然追いつかない。読みたい本もDVDも、しごとも。 じかんじかん、じかんがほしい〜〜。 じかんの次…

 テレビのない暮らし

先日我が家はテレビを片付けました。 日頃テレビばかり見ていたというわけでもなく、とーっっても小さなテレビでしたが、なくなってみると数日間は違和感を感じます。 テレビがあることは当たり前すぎて、手放すなんて思いもよらなかったけれど慣れたら案外…

猫町

邪宗門の本棚に萩原朔太郎の『猫町』があった。これはわたしが最高に好きな短編小説である。 どういう話かというと、人後に落ちない方向音痴である朔太郎が家のすぐ近所で迷子になる。丘を越え畑を抜けパニック状態で進んでいくと、見たこともないほどかっこ…

モリマリティー

邪宗門でモリマリティーを注文した。トワイニングのプリンス・オブ・ウェールズにエバミルクを注いだもので、「こうするとイギリスのお茶そっくりになる」と森茉莉が愛飲したものだという。 本当にそうだった。ミルクを入れても心地よい紅茶の風味だけは残し…

邪宗門

下北沢の喧噪を抜け茶沢通りを1キロばかリも南下したところに「北沢村」と呼ばれる一角がある。ときどき感じのいい雑貨店が現れる(nonsenseやfog)。でも、多数を占めるのはごく普通の古くさい商店と住宅であって、隠れ里みたいな雰囲気がある。 裏通りに…

屋根

きのうの夜、ネコが奇矯な声を発していた。2種類のにゃあが交錯する。まだ肌寒いのにネコには春がやってきたらしい。 おなじみのネコである。いつも向かいの風呂屋のトタン屋根のうえにいる。夏は暑くてなにもしたくないのか寝そべっている。冬は屋根にひっ…

雪景色

きのうのつづき。 雪は日常見慣れた風景を白く覆って現実離れしたものに変える。だから雪が降った日にはなるべくいろんなところを歩きまわって現実離れした風景を見物したいのだが、寒さに負けてそうもいかなかった。日曜日の井の頭公園が最初で最後かもしれ…

吉祥寺へ行くバスの窓から駅前広場に立つイチョウの木と青空が見えた。 すべての葉を落とした黒い枝々はアンテナのように空へ向かって延びて、そこには数十羽のスズメだかムクドリがすずなりに止まっている。 ちいさな鳥たちは一斉に飛び立つ。 厳密にいえば…

続龍

きのうのつづき。 問題の手洗い場である。(写真の中央にちいさく見える) 水が出ているのは龍の口ではなく、溶岩が冷え固まったような岩に穿たれた穴からである。この岩は見ようによっては龍に見えなくもない。 そのときやっと本で読んだことを思いだしたの…

どういうわけで龍が変転したものか自分でも理由がしれない。 2、3日前に自分の目でみたはずのことなのにありもしないことを原稿に書いていた。 不忍池の弁天島の手洗い場では龍が口から水を吐いている、とそのようなことを記したのであった。 3日ぐらいし…

聖橋

地上と地上が交差する場所がある。地上が地上をまたぎ、地上から見下ろすと地上が見える。 散歩していると突然頭上に橋がかかり、橋は両岸の地面と地面をつないでいる。いま自分の踏みしめているのが地面のはずなのに、頭の上にも地面がある。そこにも家や建…

佃島

12月30日のお昼ごろ、家を出ようとしたらちょうど雨が降ってきた。風邪を引きそうなほど寒いし風が強い。 古代ギリシア人は家を出るときに躓いたらその日はろくなことがない徴なので外出するのはやめたそうである。 というサボりのエピソードが頭に浮かんで…

御苑

明治神宮には御苑がある。 ただの庭ではなく、御をつけなくてはならない。これは天皇のために作られた庭園である。 おとといの庭付き一戸建て木造物件から眺められるのはこの写真の池だ。 東京でこれほど深く神秘的な水の色を見られるとは思わなかった。その…

「狸は食べ物を得るためにずっと歩きまわっているらしいんだよ。歩かないと死んでしまうらしいんだよ」 と知人のAさんに言われた。わたしは答えた。 「ぼくそういう小説を書こうと思っていたんですよ。ずっと歩きまわっているひとの小説を」 「その主人公は…

続ランドスケープ現象

ふたたび荒涼のうつくしさについて。 圧倒されるような風景を同時に見ている2人には同じ感情が沸き起こらずにいないはずだという仮説、それがランドスケープ現象である。 卑近な例でいうと、デートのとき夜景を見に行って親愛感を深めるというのがもっとも一…

ジャコメッティの森

新宿御苑の荒涼たるうつくしさについて。 枯葉の散り敷かれた広場に曲がりくねる枝を持つ樹々が連続して立ち並ぶさま、人気ないさびしさは現実離れ感覚にあふれていた。 なんという奇妙な木だろうと札を見ると単なるソメイヨシノだった。春にはあんなにおめ…

頭の上

S公園に向かった。 池のまわりを園路が巡って敷石がしかれている。 石と石のあいだの溝にベビーカーのタイヤがぶつかってドトドトと鳴った。 自動車が普及する前、馬車が石畳を行き交っていたパリの空に響きわたっていた無数のドトドト音を想像した。 それ…

静寂を探して

ベビーカーを押して家の近所で静寂を探した。 団地にたどりついた。この団地は青山北町団地や阿佐ヶ谷住宅とちがって古いといえども生活者の気配が濃厚にあって静寂はなかった。 建物のまわりの緑地帯には桜の木が植えられている。団地の前にはS川が流れて…

完全な静寂

静寂のつづき。 むかし競馬雑誌を編集していた頃、同僚に教えてもらった静寂がある。 Fさんは冬の牧場を取材に北海道へ行った。 牧場というと広大な野原にのんびりと牛や馬が放たれるというイメージがあるが、日本の牧場は山奥の人気ない場所を切り開き、柵…

台湾閣

何日か前の新宿御苑のつづき。 沖縄で見た建物にそっくりの赤い屋根瓦の古い建築が建っていた。 ある台湾人の手による御涼亭という建物らしい。 屋根は、一枚の紙の対角線上の角を両手で持って捻ったみたいに奇妙な曲線を描いている。 すでに夕刻近い時間で…

崩れ

旅や散歩の本紹介シリーズの第何弾目か。 幸田文という文豪が齢七十にして突如ガケ崩れに目覚め、日本中を巡る。 どういう情熱が奇天烈な旅へ押しやるのかといえば、 「車から足をおろそうとして、変な地面だと思った。そして、あたりをぐるっと見て、一度に…

発見の発見

飯田橋の駅を降り外濠通りへ出ると、市ヶ谷方面に向かって一直線に並木が見える。 ずっと遠く1キロ先ぐらいまで点々と街路樹が見渡せるので爽快な気分になる。 右手の丘側の並木はイチョウで、左手の堀端はサクラである。日本人の春秋二大フェイバリット街…

静寂の作用

きのうのつづき。 阿佐ヶ谷団地は信じられないほど静かだ。 住居にはところどころ板が打ち付けられて、取り壊しのために住人が退去しはじめている。 団地が死に近づいていることがブラックホールのように静寂を招き寄せているのだろうか。 枯葉が落ちる音を…

木のぼり男爵

公園とは地上だけにあるものではない。宮下公園は階段を昇っていくコンクリートの公園である。 飲んべえ横丁の前を通りすぎて突き当たりにある階段を昇るのはレトロでいいが、ホームレスの方などいらっしゃるので、ファイアー通りのほうから入っていくほうが…

捨てられた町

先日の青山の空地から青山通りを西側へ越えたあたり。ブルックスブラザーズと隣のビルの隙き間から見えているのは、なつかしい「団地」の姿である。 高度成長時代の遺物が、なぜ表参道ヒルズのすぐ裏手の一等地にいまも残っているのか、幻を見るような気持ち…

神楽坂の隙き間

先日、隙き間というのは現実のそばにあって現実から離れられるところだと書いた。 そういう場所がまたあった。神楽坂の裏手の白銀公園である。 戦争のとき使う守備陣地みたいに、こんもりした山がコンクリートで固められている。 てっぺん近くに横穴があって…

庭という旅

庭園に行くとなぜ気分がいいかというと現実離れするからだ。 古河庭園では駒込から大正時代の薔薇の洋館へトリップした。小石川後楽園では、外濠通り沿いにある高層ビルの裏が大自然だった。塀ひとつ越えただけで別世界という体験にはかなりの眩惑がともなう…

幽遠感

ふたたび小石川後楽園に行った。 十月の末にはまだ青かった入り口の枝垂れ桜がいまはすっかり枯れ落ち、縄のれんになっていた。 緑の絨毯がうつくしいスロープを描く築山を見ると段ボールを尻に敷いて滑り降りたくなる誘惑に駆られる。 その緑はよく見ると芝…

現実もどき

さきおとといのつづきの新宿御苑。 これは梅もどきという木である。 インクで染められたようにビビッドな赤色のまったく同じ大きさの球体が、数えきれないほど増殖している様子を見つめていると、頭がクラクラする。 自然とは思えないほど3Dのコンピュータ…