2007-01-01から1年間の記事一覧

木造

古い家のなかにもきれいな家ときたない家があるのはどういうわけだろう。 なんでもあたらしいものがいいとおもっているわけではなく、古いものも好きなほうなので住むことはけっしてやぶさかではない。 古い木造の家なら家賃もやすいので便利で散歩のしがい…

1年前の(ことしの)正月このブログに掲出したネーナ・ガーランド姫の絵は、半年ぐらいそのまま放置していたので見てくれた方も多いだろう。 彼女は999匹のネコを飼っていて、眠りながら(たまに)起きたりして、山奥の湖のなかのお城に住んでいる。 そうい…

お正月

お正月というのはいつのまにかやってくるものである。 子供の頃はそうではなかった。それはなかなかやってこないものであった。 楽しみでしかたないので毎日そればっかり考えて、こころのなかであるいは 友だち同士で、あるいは家族の前でカウントダウンして…

「狸は食べ物を得るためにずっと歩きまわっているらしいんだよ。歩かないと死んでしまうらしいんだよ」 と知人のAさんに言われた。わたしは答えた。 「ぼくそういう小説を書こうと思っていたんですよ。ずっと歩きまわっているひとの小説を」 「その主人公は…

知られざる一面

新宿御苑に魔女の家があった。

続ランドスケープ現象

ふたたび荒涼のうつくしさについて。 圧倒されるような風景を同時に見ている2人には同じ感情が沸き起こらずにいないはずだという仮説、それがランドスケープ現象である。 卑近な例でいうと、デートのとき夜景を見に行って親愛感を深めるというのがもっとも一…

ジャコメッティの森

新宿御苑の荒涼たるうつくしさについて。 枯葉の散り敷かれた広場に曲がりくねる枝を持つ樹々が連続して立ち並ぶさま、人気ないさびしさは現実離れ感覚にあふれていた。 なんという奇妙な木だろうと札を見ると単なるソメイヨシノだった。春にはあんなにおめ…

ランドスケープ現象

うつくしいとはどういうことか? ピクニッケの連載ではうつくしい花が咲くときを選んでその場所に訪れていた。だが十二月に咲く花はない。あっても地味なわざわざ足を運んで見るほどの華やかさを有さない花である。 だから新宿御苑に訪れたとて大した感動は…

靴飛ばしゴルフ

クリスマスのピクニッケをしに新宿御苑へ。 このブログを見ているひとは「何回行ってるのよ?」という感じかもしれないけれど、下見2回本番1回の都合3回訪れた。 行くたび行くたびおもしろくてしかたない。 この写真は2回目の下見のときにいた中学生か高校1…

十一月

パニック7の新しい号が発売され十一月の小石川後楽園でのピクニッケが掲載されています。 コンビニで売っています。 カラーの写真は上のリンクからパニック7HPにて。

頭の上

S公園に向かった。 池のまわりを園路が巡って敷石がしかれている。 石と石のあいだの溝にベビーカーのタイヤがぶつかってドトドトと鳴った。 自動車が普及する前、馬車が石畳を行き交っていたパリの空に響きわたっていた無数のドトドト音を想像した。 それ…

静寂を探して

ベビーカーを押して家の近所で静寂を探した。 団地にたどりついた。この団地は青山北町団地や阿佐ヶ谷住宅とちがって古いといえども生活者の気配が濃厚にあって静寂はなかった。 建物のまわりの緑地帯には桜の木が植えられている。団地の前にはS川が流れて…

完全な静寂

静寂のつづき。 むかし競馬雑誌を編集していた頃、同僚に教えてもらった静寂がある。 Fさんは冬の牧場を取材に北海道へ行った。 牧場というと広大な野原にのんびりと牛や馬が放たれるというイメージがあるが、日本の牧場は山奥の人気ない場所を切り開き、柵…

台湾閣

何日か前の新宿御苑のつづき。 沖縄で見た建物にそっくりの赤い屋根瓦の古い建築が建っていた。 ある台湾人の手による御涼亭という建物らしい。 屋根は、一枚の紙の対角線上の角を両手で持って捻ったみたいに奇妙な曲線を描いている。 すでに夕刻近い時間で…

崩れ

旅や散歩の本紹介シリーズの第何弾目か。 幸田文という文豪が齢七十にして突如ガケ崩れに目覚め、日本中を巡る。 どういう情熱が奇天烈な旅へ押しやるのかといえば、 「車から足をおろそうとして、変な地面だと思った。そして、あたりをぐるっと見て、一度に…

築地

ピクニッケの研究のため築地へ行った。 魚の匂いのする狭い路地には昼時のことでたくさんの人々が袖を摺り合わせながら行き交っていて、ベビーカーを押して通ることもままならない。 ようやくたどりついた目当ての店には行列ができていて入れない。 空腹を抱…

発見の発見

飯田橋の駅を降り外濠通りへ出ると、市ヶ谷方面に向かって一直線に並木が見える。 ずっと遠く1キロ先ぐらいまで点々と街路樹が見渡せるので爽快な気分になる。 右手の丘側の並木はイチョウで、左手の堀端はサクラである。日本人の春秋二大フェイバリット街…

ベンチの旅

恵比寿ガーデンプレイスには実に多くのベンチが置かれている。 開放的な中庭のそこかしこにベンチは設置されているし、そうでなくてもゆったりと幅の広い階段も腰かけやすく、実際お昼どきには多くの人が抵抗なく地べたに座ってお弁当を食べている。 シャト…

静寂の作用

きのうのつづき。 阿佐ヶ谷団地は信じられないほど静かだ。 住居にはところどころ板が打ち付けられて、取り壊しのために住人が退去しはじめている。 団地が死に近づいていることがブラックホールのように静寂を招き寄せているのだろうか。 枯葉が落ちる音を…

阿佐ヶ谷住宅

ここがきのう紹介したベーグルからもっとも近いベンチである。 阿佐ヶ谷住宅と呼ばれる平屋の団地で、「初めて来る人にさえ、遠い懐かしい思いを覚えさせるレトロな空間」(はてなダイアリー)。 緑多い敷地にコンクリート長屋が点在している。 老練の名俳優…

ベーグル

阿佐ヶ谷のベーグルというベーグル屋のベーグルを食べて思うのは、「女の人の手で作った味がする」ということで、同時に「男性が作ったものと女性が作ったものの味というのはちがう」ということにも改めて気がついた。 中央線沿線で好きなパン屋はまず吉祥寺…

鳥竹

きのうのつづきで、宮下公園において何を食べたかというおはなし。 渋谷の半分は若者の町であり、地味なもう半分はおやじシティーである。 マークシティから井の頭線の改札を出るとあっちこっちから煙が出ている。狼煙で敵の接近を知らせているのではなく、…

宮下公園

先日のつづきで、宮下公園。 都会の公園のベンチにはいろんな人がいるものだ。 よれよれのトレンチコートを着たサラリーマン風の中年男が仕事をさぼっている。 一切の希望を失ったような顔をしているので窓際族と推察される。 黒澤明の名作『生きる』に出て…

木のぼり男爵

公園とは地上だけにあるものではない。宮下公園は階段を昇っていくコンクリートの公園である。 飲んべえ横丁の前を通りすぎて突き当たりにある階段を昇るのはレトロでいいが、ホームレスの方などいらっしゃるので、ファイアー通りのほうから入っていくほうが…

三角ヒルズ

きのうのつづき。 テイクアウトグルメを求めて表参道ヒルズのなかを昇ったり降りたりした。 表参道と同じ傾斜の坂が地上三階から地下三階まで螺旋状につづく光景は、バベルの塔を思い起こさせる。 重たい乳母車を押しながら、どこにむかうのかわからない永遠…

三角公園

きのうの青山北町団地のつづき。 三角形のちいさな公園があった。 ワイヤーフェンスで囲われている。 伸び放題の芝生が貼られた敷地に、青いペンキが塗られた鉄棒とブランコだけ置かれている。 金属の朽ち錆びた感じ、ブランコの木製椅子の干涸び感がすばら…

捨てられた町

先日の青山の空地から青山通りを西側へ越えたあたり。ブルックスブラザーズと隣のビルの隙き間から見えているのは、なつかしい「団地」の姿である。 高度成長時代の遺物が、なぜ表参道ヒルズのすぐ裏手の一等地にいまも残っているのか、幻を見るような気持ち…

アルパージュ

きのうにつづき神楽坂。 チーズというのは値が張る割に当たり外れがあるものだが、アルパージュで買ったものでおいしくなかったのはひとつもない。 ホームページを見るだけでよだれが出る。 店主の森さんが巡ったフランス、イタリア、スペインなどのチーズ産…

紀の善の粋

紀の善を取材。 神楽坂とは紀の善なのだとずっと思ってきた。 飯田橋の駅で降りてはじめて神楽坂に行ったとき、紀の善の店構えを見て、ああ神楽坂だなと思い、おしるこかなにか食べた。以来なにかにつけて食べつづけてきたのである。 紀の善の抹茶ババロアは…

神楽坂の隙き間

先日、隙き間というのは現実のそばにあって現実から離れられるところだと書いた。 そういう場所がまたあった。神楽坂の裏手の白銀公園である。 戦争のとき使う守備陣地みたいに、こんもりした山がコンクリートで固められている。 てっぺん近くに横穴があって…