捨てられた町

projetdelundi2007-11-26

先日の青山の空地から青山通りを西側へ越えたあたり。ブルックスブラザーズと隣のビルの隙き間から見えているのは、なつかしい「団地」の姿である。
高度成長時代の遺物が、なぜ表参道ヒルズのすぐ裏手の一等地にいまも残っているのか、幻を見るような気持ちで、用もないのに接近を試みた。
ビルの隙き間はひとひとり分ぐらいの幅である。見咎められはしないかとびくびくしながら入っていくと、ビルの裏でコンクリートの崖に突き当たった。行き止まりかと思ったら、物陰に階段があって、団地のほうへ進めるようになっているからやっぱり道だったのだろう。
団地は住宅と廃墟の中間的な存在になりはてていた。
白いコンクリートの壁は薄汚れて、ヴィンテージ感たっぷりである。
団地まわりの植樹は生え放題、伸び放題。植え方もバラバラで、桜の隣の木にはっさくがなる無軌道状態。
手すりが錆びついたベランダに目をやると、ひと気のない部屋が半分。洗濯物がかかっているところにはゴミが溜めこまれている。
生活感が失われすべてが古ぼけているなかにも、目を凝らすと新鮮な色合いも散見された。
荒れた植樹のなかに花壇か菜園のようにしつらえられた部分がある。廃品の物干し竿と拾った板ので囲いが編まれ、土が耕され盛り上げられて、葉キャベツや色とりどりの菊が植えられている。
そういえば、この町で会う人は、枯葉を掃いている人、乳母車を押している人など、年寄りばかりだ。ゴミを溜め込んでいるのは足が悪くて思うままに捨てられないからなのだろうし、ちいさな菊が植えられているのは供花に用いるのであろう。
とすれば、想像されるのはこのような事態である。
空き家が多いのはこの物件がすでに新規の募集を停止しているからだろう。本当ははやく団地など破壊して表参道ヒルズのような再開発ビルを建てたいにちがいない。
ところが、数十年前にこの町に住みついたお年寄りたちには借地人の権利があって取り壊すこともできない。土地の管理者は、住人の退去(悪い言葉で言えば死)を待っているのかもしれない。
コンクリートの塔がある。給水タンクだ。こういうのを見るとすぐ昇りたくなり、冒険したくなる。
ここで目にするのは、子供のころすぐそばにあったのにいつの間にか見かけなくなったもの、失われた原風景だ。
いまはすべて「マンション」という新しい装置に置き換えられたが、それが懐かしくなる未来もいつかやってくる。