憶良らは

projetdelundi2008-07-23

憶良らは今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ
という歌が聞こえてきた。わたしは振り返ってテレビを見つめた。『日本語であそぼ』という教育テレビの番組のなかで子供たちが連呼しているのだった。
自分はもう帰るよ、子供が泣いていると思うし、奥さんも待っていると思うから、という意味なのだろう。
どうして自分はこの歌にこんなに共感しているのか、自分からはまったく遠い万葉集の歌が耳にすっと入るのか。わたしは聞きながら驚いていた。
中学で習ったときには「だからどうしたんだ」と思っただけだった。そのときだって一応受験用に意味は了解していたはずだ。けれども心に突き刺さってくる深さはあまりにもちがう。
そもそもなんだってこんなことを和歌にしたのだろうか。だれだっていいそうな台詞を拾っただけである。それがなぜ教科書で習うような名作とされたのか。親心の普遍がそこに歌われているからにはちがいないが。
父親になってからのわたしはもうひとりですごすことなんてまるでできない人間になってしまった。せっかくずっといたいような喫茶店の椅子に座ったとしても、いま子供が泣いているんだろうと思っただけでいてもたってもいられなくなり、席を立つ。そのときの焦るような、ひやひやするような、けれども心のどこかはじんとしているような感じが、「憶良らは」を聞いただけで蘇ってくる。
経験によってひとは変わる。不断に変わっていく。ある体験をしたあとでは同じ言葉、同じ世界をまったくちがう耳で聞き、ちがう目で見る。