幽遠感

projetdelundi2007-11-19

ふたたび小石川後楽園に行った。
十月の末にはまだ青かった入り口の枝垂れ桜がいまはすっかり枯れ落ち、縄のれんになっていた。
緑の絨毯がうつくしいスロープを描く築山を見ると段ボールを尻に敷いて滑り降りたくなる誘惑に駆られる。
その緑はよく見ると芝生ではなく短く刈り込まれた笹であった。
築山の脇を通り抜けると水が見えてくる。
川のなかに石が散り置かれている。丸いもの角ばったものいろんな形の石が水面に顔を出し、揺れ動く影を曵きながら浮かんでいる。石と石との間隔のなんともいえない心地よさには現実離れ感覚があって、想像が蠢きはじめる。
平橋をはさんで反対側に西湖堤がある。
赤や黄の枯れ葉が散り落ちた水面に直線が走っている。
石を連ねた堤である。こっちから伸びる堤と向こう岸から伸びる堤が真ん中で落ち合い、橋で結ばれている。
紅葉を映した深緑の水面の幽雅な気色と幾何学的な堤の直線が、鋭い対称を描きながら切り結んでいる。
風流と不思議がいっしょに襲いかかってくるこの風景は350年まえに造営されたものなのに東京ミッドタウンより新しい。
中国の西湖を模したと言われ、水戸黄門が中国より招請した明の遺臣舜水の手によるものである。
たしかに、自然そのものを愛でるという日本庭園らしい感性と、それとはちがう手触りの、ある意志を持った抽象的な建築が共存している。
築山によって隠されたこの水辺は東京から浮遊し、江戸でも、中国でもない、どこか別の時空につながっている。