現実もどき

projetdelundi2007-11-18

さきおとといのつづきの新宿御苑
これは梅もどきという木である。
インクで染められたようにビビッドな赤色のまったく同じ大きさの球体が、数えきれないほど増殖している様子を見つめていると、頭がクラクラする。
自然とは思えないほど3Dのコンピューターグラフィックにそっくりである。
原子とかDNAとか分子構造を説明するモデルのようだ。
このクラクラ感を引き摺りつつ周囲の風景に目を移していくと現実がヴァーチャルに見えてくる。
木も建物も人々もこの世に存在するものはすべてコンピューターが作った影ではないだろうか、と不思議なことを思いはじめる。
数年前にはそうした遊びを、散歩の途中に梅もどきの実がなっているのを目にしたときよく行っていた。
いまは変わった。
なにかになぞらえたり変換したりしなくても自然は自然としておもしろく、陶酔することができる。
わたしとしては新しい認識の大波に襲われたような興奮があるのだが、端から見ると自然を見てよろこんでいるなんて単に趣味がおっさん臭くなっただけである。
そういえば、向島百花園にいたのも中高年の人々ばかりであった。
年を取るという現象は、主観的にはラディカルな深化だが、客観的には穏健化あるいは退行である。