紀の善の粋

projetdelundi2007-11-24

紀の善を取材。
神楽坂とは紀の善なのだとずっと思ってきた。
飯田橋の駅で降りてはじめて神楽坂に行ったとき、紀の善の店構えを見て、ああ神楽坂だなと思い、おしるこかなにか食べた。以来なにかにつけて食べつづけてきたのである。
紀の善の抹茶ババロアはなんであんなにおいしいのだろうか。ババロアも生クリームも見事にふわふわである。抹茶のほろ苦さと、粒あんのほっくり感、生クリームのすてきに軽い感じ。この三位一体はちょっとやそっとでは乗り越えられないような高みに位置している。
「抹茶の量を知ったらみなさんびっくりされるかもしれないほどたくさん使っています。かなり使わないと生クリームの風味に負けてしまうんです。おけいこやお茶会でお使いになられるものよりもっと高級な抹茶でないとあの味は出ません」
おかみさんの考える抹茶のイメージを実現するためには、先入観をくつがえすぐらい上等な抹茶と量が必要なのである。
販売を開始したのは20年ほど前。抹茶ババロアは紀の善がはじめたもので、当時和風の洋菓子はいまほどの隆盛は示していなかった。なぜ抹茶ババロアを思いついたかというと、
「お茶の苦さはあんこを引き立てますからね」
味わってほしいのは自慢のあんこであると強調していた。使っているのは丹波の大納言。とにかく高いものらしい。黒というよりもうっすら紫に見え、大粒である。味にはとがったところがない。口のなかで上品な風味がすーっと立ち上がってくる。
紀の善といえばグレーとピンクの包装紙。どなたのデザインなのか尋ねると、
「あれはわたしの趣味です。紙屋さんに『こんな色でお願いします』といったらあれができてきたんです。(お椀の)マークは「どんなのにしようか?」と主人に相談したら『こんなのでいいんじゃないか』ってさらさらっと書いてできあがったんです」
そう書くとてきとうに感じられるけれど、実際のおかみさんは反対である。自分の感受性と合わないことが許せない、こだわりの人であった。
「このお店は主人やわたしの気持ちの反映なのだと思います。自分の好みにしっかりと合うしつらえをしてきたその積み重ねなんじゃないでしょうか。大事だと思うのは、粋なのだけど粋すぎないこと、入りやすく家庭的だけれど低く流れすぎないこと、かわいすぎないこと、甘いテイストに走りすぎないことです」
自分の気に入るものというのは本当はなかなかない。あまりこだわりすぎると生きるのがたいへんになるのでみんなほどほどにしているだけである。しかし、ものを作るというのはとことんまでそれを追い求めることだ。そうでなくてはお客さんのこころにすとんと落ちるものはできあがらない。