projetdelundi2007-12-26

「狸は食べ物を得るためにずっと歩きまわっているらしいんだよ。歩かないと死んでしまうらしいんだよ」
と知人のAさんに言われた。わたしは答えた。
「ぼくそういう小説を書こうと思っていたんですよ。ずっと歩きまわっているひとの小説を」
「その主人公はIちゃん(わたしの名前)だよ。そう思ったからぼくはこの話をIちゃんに教えようと思ったんですよ」
たしかにわたしは歩かないと本を作れない。本を作らないと飢え死にしてしまう。だからいつも歩く。歩くときもなにかおもしろいことはないかと探しながら歩いているので飢えているみたいなものだ。
狸になる前は自分のことを洗濯機だと思っていた。
それは数年前のパリに着いて最初のころのことで、友人も誰もなくてひとりでただひたすらパリを歩いていた。
からだを動かせば脳のはたらきも活発化する。たくさんの言葉があたまのなかを歩く速度と同じ速さで駆け巡っていた。思いをだれかに告げようと思っても話し相手がいないので、言葉は永遠にあたまのなかをまわりつづけるほかはない。
それで自分は言葉の洗濯機みたいだと思ったのである。パリの街を見下ろすピレネーの坂の上からレピュブリック近くにあったわたしのステュディオへとリュー・オベルカンフの長い坂をずっと降りてきているときにたしかそれを思いついたのだった。
パリのひとは自分で洗濯機を持たない。だから、いたるところにコインランドリーがある。フランスの洗濯機は乾燥機みたいに、縦型でガラス張りで外から見えるようになっている。水がじゃーと流れ込んできて泡を飛び散らせながら洗濯物がまわる。洗濯機を監視する必要なんかないのにその風景を馬鹿みたいにずっと眺めていた。
なにごとも豪放なフランス製らしく、ものすごい勢いでモーターがまわってガタゴト揺れながら洗濯機は稼働する。それを見ているとぶっこわれて泡がぶちまけるのではないかと心配になるほどだが、もちろんガラスが割れてなかみがでてくることはない。そんな洗濯機に似て、わたしのあたまのなかだけは、フランス語だらけのかの国においていつも日本語が回転しているのだった。
皮肉なものだ。わたしは言葉を捨ててしまおうと思って日本を去ったのであった。日本語をフランス語に取り替えようと。しかし、パリを歩けば歩くほど逆に日本語ばかり意識されるのだった。
いまでも歩くと言葉がまわるような気がする。きょうは歩きながら「現実離れ方程式」を発見した。
このまえ、プロジェ・ド・ランディをまちがえてプロジェ・ド・ランドリーと呼んだひとがいた。それで、このブログのタイトルを「洗濯機計画」に改名しようとしたら妻に止められた。