ニコライ堂

projetdelundi2008-03-04

緑青に覆われたドーム屋根の前をわたしは何度となく通っていたが、建物のなかに実際に入ることは想像したこともなかった。ひとがなにかと出会うのは、対象とどれだけ接近したかという近さによるのではなく、縁があってある日呼ばれるものかもしれない。
わたしたちは異国にいた。漆喰の塗られた白い壁を焦げ茶色のアーチが幾重にも飾っている。ドーム屋根だけを遠くから見たときのものものしさとはまったくちがう可憐な印象を与えるのだった。
ステンドグラスや彫刻や絵など白い漆喰壁の空間にはたくさんの意匠がちりばめられている。明治生まれのそれら装飾品たちは、ものがすべてひとの手で造られなくてはならなかった時代の、端正さとオーラをまとっていて、この空間を東京にふたつとないほど厳かな雰囲気へと高めていた。
そして高いドーム天井。白い壁が湾曲しながらひとつの頂点へと高まっていくカーブのうつくしさにわたしはみとれた。
この教会には天国がある。
「あの金色の壁を見てください。聖人の絵がたくさんかかっているところ。あの壁からこっち側は地上、向こう側は天国です。あのなかには牧師さんしか入ることができません」
いつのまにか受付にいた女性が背後から近寄っていたのだった。
「いちばん右側の絵を見てください。十字架に書けられたイエス様が見えるでしょう。あれは聖書の復活の場面をあらわしているんです。教会にはすべてテーマがあります。ニコライ堂は復活の教会で...正式には復活大聖堂というんです。ミサへやってきた信徒さんたちは聖人の像に口づけしていくんです」
この女性はガイド役を買って出てロシア正教にまつわるいろいろなことを教えてくれた。たとえば、八端十字という横棒が三本ある独特の十字架のこと。
「下の棒が斜めなのは理由があるんです。イエス様といっしょに磔にされた2人の盗賊の左側のひとは『イエス様、あなたを信じます』といって天国に召された。右側の盗賊は『本当におまえが神の子なら自分を救ってみろ』といった。それで地獄に堕ちたので、十字架の下の棒は斜め右に下がっているんです」
これからは八端十字を見るたびにこの話を想起し、おそろしい思いをしそうだった。わたしならきっと右側の盗賊と同じことをいうだろうと思ったのだ。キリスト教世界のなかでは疑うことそれ自体が地獄行きに値するのだろうか。