大萬

projetdelundi2008-05-05

きのうのつづき。斉藤水産以外のもう一軒の築地の魚屋の話。
築地市場の奥深くへ分け入っった。コンクリートの屋根の広い広い空間がずっと広がって、狭い通路をたくさんの魚ケースをカートに載せたひとが忙しそうに行き交って、素人のわたしがこんなところを歩いていいのかとおっかなびっくりでスリル満点だった(居心地の悪さ満点といういい方もできる)。
築地市場第六通路の何個目の角だったかは忘れたけれど、左に入った1軒目に大萬(店舗5131)というまぐろ専門の卸屋さんがある。サク単位でまぐろを売ってくれる。迷惑ではないかと思いながら訪ねたのだが、むしろ一般客歓迎の雰囲気だった。
「なにがほしいの?」
築地のひとは忙しいせいかみんな単刀直入である。わたしはこの質問に対する答えを特に用意していたわけではないけれど、ひとつの言葉が思わず飛び出した。こころの叫びだったのだと思う。
「生の本まぐろ
いったいいくら取られるのだろうかとドキドキだったけれども、発泡スチロールのなかから長さ20センチぐらいの赤身を取り出しながらおじさんはいった。
「もうきょうはおしまいだから千円でいいや」
家に帰ってこの赤身を刺身にするとちいさめの皿に山盛りになった。まず泡盛といっしょに刺身として食べた。それからまぐろ丼にして食べた。それでも余ったので、もういっぱいまぐろ丼を食べた。この最後の一杯はいまにして思うと茶漬けにしておけばよかったと後悔している。
それにしても千円で腹いっぱい生の本まぐろ様をいただけたのだからこの日のわたしは幸福であった。
こんなふうに赤身ばかりずっと食べつづけたことはいままでなかった。あくまでトロがメインでトロばかりだと飽きるのでちらっと赤身とかそんな程度で、わたしの格付けにおいては 赤身<トロ という絶対的不等号関係ができあがっていて、それが揺らいだことは一度もなかった。
しかし、いまやこの赤身を食べたあとではわからないという気持ちになっている。赤身というのは脂のおいしさに逃げていない。純粋無欠なまぐろ味だけで勝負している。
食べつづけていくと最初の刺身の中途でもう飽きてきたなという第一のピークが訪れたのであるが、それを通り越すと突き抜けた地点が訪れた。ランナーズハイではなく赤身ハイとでもいったらいいだろうか。いままで食べた赤身の後味の蓄積が口のなかでむわーとなってくる。口のなかの空気ぜんぶが赤身赤身赤身となるのである。この赤身むわむわ感を泡盛やメシによって喉の奥へ押し流していくのがよかった。
食べれば食べるほど飽きるのではなく加速する。これが純粋無欠まぐろ味一本槍の赤身の恐ろしさなのである。