ブリオッシュ

projetdelundi2008-06-26

忘れもしない小学二年生のときにはじめてこの世にブリオッシュというものがあると知った日。
形もびっくりだけれど、バターと卵たっぷりで果てしなくお菓子なのにかろうじてパンの領域にとどまっているというその幸福な存在感がなによりわたしのこころを打ったのである。(朝食でおやつが食べられる!)
第二の衝撃は大学一年のとき。カフェオレボウルというものがおフランスには存在して、そのなかに浸して食べるということを映画のなかで知った。あんなにさくさくなものをわざわざふにゃふにゃにすることはわたしにとって受け入れがたかった。(でもサヴァランのような洋酒に浸して食べる菓子はあっさり受け入れている。)
ブリオッシュは必ず上のドーム型の部分をぽこっとちぎって食べる。それ以外の食べ方をしたことはない。ドームをちぎるとクレーターのような穴ぼこがあいて黄色い生地が見えるのが好きだ。(写真の状態。先日のピクニッケでの一枚。)ちぎられたドームはちょうど一口分になっている。そしてじわっと口のなかに甘さが広がっていく。
ブリオッシュはあっというまに食べきってしまう大きさだから別れが惜しいのだが、上から食べていくと底部のほうへ進むにつれさくさく感は増していくことが救いである。けれども量が多いからといって食パンタイプのブリオッシュを買おうとは思わない。同じ味のはずなのにありがたみが薄い。どうしてもブリオッシュ・ア・ラ・テットがいい。
写真のようにして食べたパリ セヴェイユ(自由が丘のパティスリー)のブリオッシュはとてもおいしかった。どこにも欠けたところがないのである。さくさくで中はふんわり、卵とバターの味、形から色つやまで理想的。生まれてはじめて食べたときと同じ幸福の味がした。
わたしにとってブリオッシュとは幸福の徴なのだろう。だからぜひ百パーセントであってほしい。幸福に欠けたところがあるとそこが気になってさびしくなってしまうのだ。