空き地

projetdelundi2007-10-14

青山通りを表参道から少し西のほうへいったところから北へ曲がった細い路地に空き地があった。
道の両側のマンション3軒分ぐらいのスペースに、ねこじゃらしや酔芙蓉の白い花が咲き、それに包囲されるようにコンクリートの基礎が白い残骸をさらしている。
空き地の真ん中には一軒だけちいさな廃屋が取り残されていて壁には枯れた蔦が這い上がっている。
永遠につづいていくように見える東京というコンクリートの固まりから自然が少しだけ領地を奪回したのだ。
この路地はだらだらした坂道になっていて、空き地は斜面である。
むかしこの土地が青山と名付けられたときにはきっとこんなふうに山だったのかもしれない。
空き地という言葉のなかには空がある。
確かに、この空き地の上には建物が建て込んだ東京のほかの部分より少し広い「空」が姿を見せている。
それから、空き地の向こう側では古いマンションが普段は決して見せないひび割れた裏側を覗かせていたりして、この「空白」のせいで界隈の風景は活性化してもいる。
前に通ったときには気づくことのなかった空き地の美を教えてくれたのは向島百花園である。
この公園には写真に見えるようなすすきなど野の花が咲き、なにも手を入れないただの自然に見えるように手が入れられている。
そういえば、青山の路地をおととい通りかかったとき、作業員の人が電動草刈り機で「雑草」を刈り取っていた。
東京のどまんなかの土地が使われずに放置されることなんてそうそうないということなのだろう。
空き地とははかないもので、酔芙蓉の花ももう咲くことはない。