個人美術館への旅

projetdelundi2007-11-11

アート鑑賞も現実から離れることである。
最高の作家のものに触れたときにはそう感じる。
作品の周囲の空気がちがっている。
磁場が緊張し、ひんやりしている。
作家の精神のありようがそこに現れているからだろうか。
世界の新しい法則を告げているようにすら感じられる。
日常の気持ちの使いかたとはちがう、魂の別な部分が動きはじめる。
時を忘れ、作品の前に不動でたたずんでいるのであるが、想像力は激しい運動を行っている。
見る人はそこにいて、そこにいない。
作品が別の次元への通路になっているのだ。
『個人美術館への旅』(大竹昭子著)の『イサム・ノグチ庭園美術館』の章を読んで、そういう現実離れ感覚が呼び覚まされた。
なにしろアートを見るという現実離れ行為が、地方の美術館へ旅するというもうひとつの現実離れに媒介されて起こっているので、二重に日常から断ち切られているのだ。
香川県にある、明治時代の酒蔵を移築した暗い土間で『エナジー・ボイド』という彫刻(石の巨大な角張ったドーナツ)を見たときの感想はこう書かれている。
「四角い環が無言のエネルギーを発している。神聖な空気があたりを支配し(略)世間が遠く隔たり」
ノグチの作った庭で彫刻のような抽象的な形の築山に登って、屋島と五剣山という不思議な稜線を持つ山を仰ぎ見たときには
「地上から離れている浮遊感がある。(略)空間の中にひとりで立っている爽快な孤独感がみなぎっている」
と激しく現実離れする筆者の様子が伝わってくる。
旅行や散歩について書く仕事は、自分が見ているものを見ていない人に伝えることである。
だが、百万言を費やしても見ることと読むことはちがう。だから、書くことは徒労にすぎないのではないかという諦めに、わたしは書きながらしばしば襲われる。
それでも、現場にいるときの心持ちを呼び出しながら言葉を綴れば、必ずなにかは伝わるものがあるはずだ。
と、もう一度信じる気持ちが出てきた。

写真はきのうのつづきでアールヌーヴォーベンチ。