枝垂れ桜

projetdelundi2007-11-12

小石川後楽園の枝垂れ桜。
これだけ大きな、幅2、30mはある桜の木が満開になったらどれだけ壮観だろう。桜の季節のピクニッケは一本桜もいいかもしれないと思った。
ちょっと前の写真なのでいまはもっと紅葉が進んでいるだろう。
紅葉というのはすべての葉っぱが真っ赤に色づいたときがいちばん美しいのだと思い込んでいたが、そうでもないかもしれない。
先週、目黒の東京都庭園美術館に行った。大正時代の宮家のアールデコ風の洋館で、クリスマスのピクニッケに似合うのではないかと下見をしたのだ。
外観以上に目を奪われたのは、床のタイルや、照明や、ドアノブにほどこされた、優雅な曲線を使った細やかな装飾であった。
帰りに玄関を出て秋晴れの空の青さに目を細めたとき、切り揃えられた植栽のあるロータリーの向こうに、大きな木が目に入った。
いちばん日の当たるてっぺんのほうだけが赤く染まって、下のほうは明るく深い緑色のままだ。
赤と緑の組み合わせが実に印象的だった。
赤と緑は補色であり、人間の目にもっともこころよく映る組み合わせとされる。
紅葉の季節に葉が緑から赤へと色を変えることは自然の巧緻なのか、それとも何万年もその移り変わりを見つめてきた人間のDNAがそれを快いと受けとるゆえに、赤と緑が補色なのか。
最近知ったのだが、補色とは、こういうメカニズムになっている。
例えば緑なら緑をずっと見つめたあと、白い色のところに目を移すと、残像のようにその色の補色(この場合、赤)が浮かびあがる。
つまり、補色はわたしたちの目のなかにセットされている。
驚くべきは、和音も同じ仕組みになっていることだ。
ピアノの鍵盤を押すと、その音が余韻のように小さくなりながらずっと聞こえている。
ずっと耳を澄ましていると、最初に鍵盤を押したときの音が変化して別の音に変わる。またずっと聴いていくとまた別の音に変わる。
そうして聴いたいくつかの音というのは最初の音の和音なのだそうである。
この不思議な法則から教訓を導きだすとしたら。
変化するということはうつくしい。必ずそこには調和が用意されているのだから、変わることを恐れなくていい。