ガナッシュとアルミニウム

projetdelundi2007-11-13

まっすぐの坂よりカーブした坂がいい。
山の手と下町という言葉があるように、坂の上と下とでは世界が変わる。
先へ進むとなにかおもしろいものと出会うのではないかという予感に急き立てられながら、見通しのきかない坂を、胸と息を同時に弾ませながら登っていくのが好きだ。
わたしはベビーカーの手すりを持つ両手に、11キロの巨大赤ちゃんが重力に引き摺られる重みを感じながら、江戸川橋から目白通りの少しくねった坂を上がっていった。
高級マンション、大邸宅、大企業の本社ビル。そういうものしかこの道の両側にはない。
道は広いのに車はほとんど走っていない。両側にいちょうの並木がある。坂の傾斜の延長線上には青空がある。気分がいい。
高い塀に囲まれた無闇に広い雑木林がある。こんな地価の高いところに、空地が雑木林に成長するほどの年月、土地を遊ばせて置く金銭的余裕がすごい。
上がり切った丘の上は東京カテドラル(関口教会)である。
銀色の巨大な抽象物体が聳え立っている。都庁舎や代々木のオリンピックプールを建てた丹下健三の手によるものだ。http://www.dentan.jp/otowa/otowa16.html
宗教建築の峻厳さというのは歴史の重みからやってくるもののように感じていた。しかしまったきモダンデザインであるこのカテドラルから、ヨーロッパの大教会でも感じないほどの緊張が醸し出されているのはなぜだろう。
この建築には窓がない。厳密に言えばあるのだがそう感じさせないほど、そびえ立つアルミニウムの銀色が外界を拒否している。デザインのストイシズムは宗教的峻厳さをも現出させるのだ。
窓がないのだからステンドグラスもない。しかし光はある。秋の透き通る空のおかげでなににも遮られずに地上へやってきたうつくしい光をアルミニウムの大屋根が眩しく反射している。
フランスの田舎町まで出かけて見たル・コルビジェ光の教会を思い出さずにいられなかった。そこに行くと、光が神の恩寵であることがわかるのだった。
なにをしにこんなところへやってきたのかというと、わたしは相変わらずクリスマスのピクニッケにふさわしい場所を探していたのである。
だが、あまりの厳粛さに圧倒され、ものを食べるどころではないことがわかり、ブログのための写真も撮らずにすごすごと退散するのであった。
坂の途中で買った[関口フランスパン]をかろうじて1個だけ食べた。
白パンの真ん中を切ってチョコのガナッシュを絞り出したものである。
昔ながらの、噛み応えがねちっとするパンではあるが、独特のむちむち感と口のなかで生地が溶けるような感じ、それからガナッシュの空気のような軽さには捨てきれないものがあった。
ルルドの洞窟]という、巌を彫り貫いてマリア像を安置したモニュメントの前のベンチで食べた。フランスにある、マリア様が降臨した洞窟のコピーだという。けれど、アスファルトで周囲を固められた目白台のてっぺんに、アルミニウムの偉容の横に巨大な巌をそこだけ残して置くことだけでも、十分奇蹟に値するように思われる。ありがたい気分になった。
写真は小石川後楽園