拍手

projetdelundi2007-11-14

新宿御苑に行った。
園路の先、木々の隙き間に黄金色の色彩が現れた瞬間、目を奪われた。
葉を黄色く染めた巨木が青空を突き、自ら発光するように輝いている。
樹は近づくにつれじょじょにその偉大さを明らかにしていった。
高さは他の木を圧している。近づきながら首の角度をどんどん上に向けていかなくてはならない。
新宿御苑ではどこにいてもNTTドコモの超高層ビルが木々の向こう側に目に入りたいへん目障りである。ところが、この樹だけは対抗心を燃やして競い合い、ほとんど双璧をなしているようにすら錯覚される。
樹の直下へ立つ。わたしは妻に呼ばれていることも気づかずこの木に見とれた。視線そのものとなり、ただ見ていた。視界に収まりきらない枝の広がり。数えきれないほどの葉、植物がこんな高みへと昇っていけるのだということ。
脇の看板にはユリノキとある。明治9年、新宿御苑に最初に植えられた樹だという。わたしは色が同じなのでイチョウだと思っていたのだが、よく見ると葉はそれより少し大ぶりである。
風が吹いた。無数の葉それぞれが意志あるもののようにはためいた。葉がこすれあい音を立てる。風がやむにしたがい、ざわめきは余韻のように終息していく。クラシック音楽の演奏が終わったときコンサートホールに鳴り響く拍手の音にそっくりだった。ちょうど人の手と同じぐらいの大きさの葉が揺れ隣の葉と触れ合う様は、たしかに樹が拍手しているようだ。
わたしは宗教を信じない。というよりもなぜそんなものを信じなければいけないのか理解できない。
だが最近、自然のうつくしさに触れたときなどに、信仰のある人が動かすのと同じ部分ではないかと思われるような心の部分が、自分のなかで動くのを感じる。
その心持ちを、宗教臭のない、日常の言葉で呼びたいのだが、適当な言葉が見つからずにいる。