鈴懸

projetdelundi2007-11-15

きのうのつづき。
フランスに目がないわたしと妻は[フランス式庭園]という文字に吸い寄せられた。
新宿御苑を新宿門から入るといちばん奥の四谷寄りにある。
フランス式庭園へ行くには[イギリス式庭園]を通り抜けなくてはならない。広い、広い芝生に人々が寝転んだり、ビニールシートを敷いてピクニックをしたり、お母さんが飛ばしたシャボン玉を小さな子が追いかけたりという幸せな風景をたくさん見た。
イギリス式とはいうもののパリでもよく見かける眺めだった。パリの公園というとたいてい芝生が敷かれていて、芝生と見るやかの地の人々はすぐ寝転んで日光浴に励む。夏が終わるとすぐ冬がやってきて、陽の射す一日はほとんどない。長い冬をしのぐため小春日和には日光の浴びだめをする。
芝生が尽き、砂利が敷き詰められた広大な四角い広場があり、その向こうに褐色に染まった一画が見える。プラタナスの並木が6列、整然と並んでいる。足並みを揃えてどこかから行進してきた巨人たちの軍隊がいま立ち止まったかのようだ。
青空をバックに緑色から褐色まで無限の階調をもった色彩のドットがきらめき揺れる。
等間隔で並べられた木は遠く彼方の消失点へ向け数学的厳密さによってじょじょに小さくなっていく。
現実離れした光景に呆然となりながら、褐色の落葉が散り敷かれた並木のあいだを歩きまわった。一足ごとに落ち葉を踏みふかふかという感触が靴底から伝わってくる。こんなにうつくしい柄で感触もすばらしい絨毯はいくら探しても買うことはできないだろう。
並木の下にはベンチが並んでいて、そこにも寝転がって熟睡している人がいた。彼はそのうち落ち葉のなかに埋もれてしまうだろう。
ここへやってきたのは、先日来よりうちつづく、クリスマスピクニッケ場所探し巡礼の一環である。
プラタナスの紅葉はいま見頃を迎えているのになぜクリスマスなのか?
プラタナスの和名は鈴懸という。黄色い葉が散り落ちて裸の枝が姿を現すと、鈴のようなまるい実を鈴なりにつける。これをクリスマスツリーのオーナメントに見立てる趣向である。
あまりにもリュクサンブール公園にそっくりなので12月のピクニッケはここに決定。巡礼の旅は終わった。