庭という旅

projetdelundi2007-11-22

庭園に行くとなぜ気分がいいかというと現実離れするからだ。
古河庭園では駒込から大正時代の薔薇の洋館へトリップした。小石川後楽園では、外濠通り沿いにある高層ビルの裏が大自然だった。塀ひとつ越えただけで別世界という体験にはかなりの眩惑がともなう。
『都市の庭、森の庭』(海野弘著)は旅をしながら庭園について考える本である。
著者は庭園の旅に出ると本当に「トリップ」してしまうみたいで、日本のいたるところで、ありえないヴィジョンを幻視する。
京都・山国の北山杉の森では、まっすぐに天へ伸びる杉が、スペイン・コルドバの回教寺院の、数百本の列柱になる。斜面に転がる岩ひとつひとつで明恵上人が座禅を組む様が見えてくる。
道後温泉の寺の洞窟では胎内巡りをする。暗闇のなかに灯る88本のろうそく一本一本が霊場を表していて、おっかない洞窟を探検すると四国八十八ヶ所を巡ったのと同じことになる。そのあとで、立ち並ぶ旅館やホテルの風呂場が湯元からの地下水道によって秘かに連結されていることに気づき、お湯のお遍路さんが水道という遍路道を通ってノズル(噴出口)という札所から飛び出す巡礼の旅に見えてくる。
京都の法金剛院の極楽浄土の庭では「蓮の葉も、水中に立てられた石も、すべて無数の菩薩や天女なのではないかと思われて」、降ってきた雨が池に落ちる波紋から「小さな仏たちが次々ととびだし」、「この雨の一粒一粒が仏である」と、現実離れした妄想を加速させる。
三重松坂の北畠神社の庭に行く話がもの凄い。峠を越え、何時間も道なき道を歩きまわり、遭難の危険に遭いながら隠れ里のような場所へ夕刻たどりつく。庭を見たあと、真っ暗な無人駅で終電車を待っていると、
「突然、電燈がぱっとつき、ラジオが鳴りだした時、私はびっくりして飛びあがるほどだった。その放送が奇妙で、どこかの大僧正が宇宙人とつきあっていて、その声を録音したというものであった。そしてわけのわからない宇宙人の声のテープが流された」
現実離れを通り越し、読んでいるだけで震えがくるような一幕だが、これはトンデモ本ではなく新潮選書というお堅い本である。