阿佐ヶ谷住宅

projetdelundi2007-12-04

ここがきのう紹介したベーグルからもっとも近いベンチである。
阿佐ヶ谷住宅と呼ばれる平屋の団地で、「初めて来る人にさえ、遠い懐かしい思いを覚えさせるレトロな空間」(はてなダイアリー)。
緑多い敷地にコンクリート長屋が点在している。
老練の名俳優(大滝秀治等)みたいなただならぬ古ぼけかたをしていて、現実離れした空気をあたりに発散しているのだった。
雑草まじりの芝生が生い茂り、コンクリートの歩道を覆い尽くす勢いである。芝は砂場の砂までも占領してしまって、円形のコンクリートの枠だけが砂場の痕跡を示し、まるで遺跡のようだ。
団地の壁はコンクリートブロックを重ねて上からペンキを塗っただけの簡単なもので、棟を表す数字はモザイクでできている。
わたしはここにきて、ひとの作ったものというのにはひと目でそれとわかる人工物らしさ、ある種のエッジがあるものなのだなと気づいた。
というのも、ここにある長屋や公園の遊具、電灯など建築物一切からは、エッジが消え去っているのである。
時間が人工物の角を削り去り、化石のようになっている。
そのせいで、まわりの木や草がぴったり馴染み、建築という人工物が「自然」になっているのだ。
ひとがものを作った瞬間から風化ははじまる。空気がやすりをかけ、微生物や埃が釉を塗りはじめる。
古いものを展示している日本民芸館やある種の骨董品店では場の空気がちがう。
年ふり、幾星霜を重ね、時間の旅を越えてきた骨董品は、溜め込んだ時間を日々発散したり吸い込んだりしながら、芳香剤みたいに周囲の雰囲気を変えているのではないだろうか。
このベンチは高さが低い。腰かけづらいし、地面に座っているみたいだ。
しかし低いだけに立ち上がりづらく、立つのが億劫になってずっと座ってしまい、そのうち居心地がよくなってくる。これは狙いだろうか?
狭くて暗い友だちのうちで現れる逆落ち着き現象を思い出した。(明日につづく)