ベンチの旅

projetdelundi2007-12-06

恵比寿ガーデンプレイスには実に多くのベンチが置かれている。
開放的な中庭のそこかしこにベンチは設置されているし、そうでなくてもゆったりと幅の広い階段も腰かけやすく、実際お昼どきには多くの人が抵抗なく地べたに座ってお弁当を食べている。
シャトーレストランの脇にあるベンチなど泉のすぐそばにあって、お金を払ってカフェに入ることがバカバカしいほど爽快な気分になれそうだ。
隠れベンチも存在している。
エスティンホテルの駐車場から東へ、ゆっくりと下る階段がある。
レンガ色のタイルが敷き詰められたかわいらしい小道の、植樹の陰にベンチが据えられている。
再開発地域とそこから漏れた界隈の境界線にあたる。
ベンチに座って右を見ればガーデンプレイスの高層ビルが、左手には普通の民家が見える。
わたしはしばらく周囲をうろつきながらその場所の趣きが言葉になるのを待っていた。
i-podをした若い女性が急ぎ足でやってきた。手すりのそばに腰かけるやぽーんと足を放り上げて座面にながながと横たえ、背は手すりにもたせかけ、ゆうゆうとペットボトルのお茶を飲んでいる。
態度のわがままさにてらいがなく、日本人離れしている。
彼女のように足を上げてベンチに座る女性は東京で見ない。リュクサンブール公園にいるパリジェンヌみたいだ。
ベンチ選びや姿勢にまったく迷いのないことや、からだがすっぽりとはまりこんでしまったみたいになじんでいることといい、たぶんその人は毎日このお気に入りベンチで時をすごしているのだろう。
「ベンチの旅」という考えが頭に浮かんだ。
東京にはたくさんのベンチがあって、そこに座ればそれぞれに素敵な風景があって、いろんな人がやってきて、ピクニッケしたり、本を読んだり、仕事に疲れて座り込んだり、その他いろんな人生があるだろう。
事実、恵比寿ガーデンプレイスという限られた空間においてすら、ベンチごとに別々の趣きと風景があって、座るたびに別々の興趣を覚えた。
それは旅のようだった。
ベンチはたかだか畳一帖ほどの空間ではあるが、360°見晴らしが効き、風が吹き、人々が通りすぎる。季節ごと、時間ごとに風景は変わる。眺めは悲しいときは悲しく、幸福なときには愉快に見えるだろう。その反対に、愉快な眺めはひとを幸福な気分にしてくれもする。
ベンチほど豊かな畳一帖があるだろうか。
東京中のベンチを座り歩いてピクニッケしてみたいと思うのであった。