発見の発見

projetdelundi2007-12-07

飯田橋の駅を降り外濠通りへ出ると、市ヶ谷方面に向かって一直線に並木が見える。
ずっと遠く1キロ先ぐらいまで点々と街路樹が見渡せるので爽快な気分になる。
右手の丘側の並木はイチョウで、左手の堀端はサクラである。日本人の春秋二大フェイバリット街路樹がコラボし、2シーズン対応できるよう中途半端に折衷しているのだった。
イチョウとサクラの位置が逆になるよりはこのほうがいい。なぜなら、春にサクラを見ながらボートに乗るのはいいとしても、秋に川面でイチョウを見るのは寒くて風邪をひいてしまうからだ。
交差点のところの古い商店の前にあるイチョウの木を見て、ベージュっぽいモルタルの壁と黄変したイチョウというのはたいへんよくあうものだと思った。左官屋さんのモルタルの塗り跡のこまかいでこぼこが秋の透明な光に照らされて陰影を作っていた。
T君と歩きながら『東京路上博物誌』(藤森照信荒俣宏著)という本について話をした。
そのなかに「化石商店」という一項があり、それは以前2人で考えた「天然商店」と同じアイデアだった。
「化石商店」では無気力な散髪店が取り上げられていて、3台ある椅子の2台はいろんな荷物に占拠され、お客の座る椅子はあと一脚しかないのだった。
開店したはじめからここまでの無気力状態に陥っていたわけではないはずであり、商売用の椅子にはじめてモノを載せてしまった日があったはずである。その日、散髪屋は超えてはならない一線を越え、真人間からダメ人間に転落したのである。(あとは無気力の坂を転げ落ちて化石化への道を突き進んだのだろう。)
そうしていると、目の前に筑土神社の石段があった。最近、神社の石段を見るとやたら昇ってみたくてたまらなくなる自分がいるのだが、それをやりはじめると完全に自分がオヤジ趣味であることを認めざるをえなくなるのではないかと、それが怖くて躊躇していたのである。
その逡巡を告白するとT君は、
「なにごとも興味を持ったものに突き進まないとダメですよ!」
わたしはオヤジへの一線を越え、石段を上った。
坂の途中に公園があった。この公園は丘の斜面を利用して、鉄の鎖やハシゴのような遊具が取り付けられ極めてクリエイティブであった。しかし、新宿区公園課が建設前に見落としていた盲点があって、神社の石段を上がる子供というのは滅多にいないので、使われない遊戯は猛烈なスピードで荒錆びてしまうということである。
T君は「さびしい公園」を研究しているとのことで、ケータイで写真を撮っていた。
そのあと、12月14日発売(たぶん)の『パニック7ゴールド』で紹介しているカー・ヴァンソンの前の喫茶店に入ったら、渋いことに『東京人』が置かれていた。
めくってみると、横尾忠則が「Y字路徘徊」という新企画を開始していた。分かれ道の角をひたすら写真に撮るというすごい連載である。目に飛び込んだのはこういう一節であった。
「芸術は発見である。すでに誰かのものになってしまったものは発見とは呼ばない」
この言葉に感心してきょうから発見しまくろうと思ったのだが、よく考えてみればその行為もまた他人の発見をパクっているだけであった。

東京路上博物誌

東京路上博物誌

東京人 2008年 01月号 [雑誌]

東京人 2008年 01月号 [雑誌]

写真はカー・ヴァンソン