築地

projetdelundi2007-12-08

ピクニッケの研究のため築地へ行った。
魚の匂いのする狭い路地には昼時のことでたくさんの人々が袖を摺り合わせながら行き交っていて、ベビーカーを押して通ることもままならない。
ようやくたどりついた目当ての店には行列ができていて入れない。
空腹を抱え食べ物を物色するために路地を彷徨う。おいしそうな店には人がたくさんいて遠巻きに見ているしかない。人のいない店は閑散としておいしくなさそうで怖くて近づけない。わたしたちはいくら歩きまわっても、どこにもたどりつけないのだった。
間口の狭い店、切り身、かまぼこ、玉子焼、客寄せの看板、商売人の顔、人並み……いま思い出しても、雑踏の記憶が雑然と脳裏に現れては消えていくばかりで、ストーリーとしての印象を結ぼうとしない。街のイメージはよそよそしいままだ。
市場の入り口でたくさんのカモメが舞い飛んでいた。空から地上へ、地上から空へ、滑空し、急降下・急浮上し、きりもみし、回転する。かれらはその動きを、獲物を捕らえるとかそういった必要に迫られてというより、自転車に乗ることを覚えたばかりの子供みたいに、ただ飛ぶことがうれしくて行っているように思えた。その光景はこの日の記憶のなかでたのしいもののほうへ分類される唯一のものだ。
場内にあるカウンターだけの洋食屋には子供を連れて入ることができず、わたしひとりで食べた。洋食店はたたずまいも味も昔なつかしくけっこうなものだったが、家族一緒でなければ本当においしくは感じられない。
きょうはカメラすら取り出さなかった。わたしたちはこの街とつながりを持つことができないままに帰路へついた。
写真は新宿御苑ロメールの小道」(と勝手に名づけた。)