聖橋

projetdelundi2008-01-10

地上と地上が交差する場所がある。地上が地上をまたぎ、地上から見下ろすと地上が見える。
散歩していると突然頭上に橋がかかり、橋は両岸の地面と地面をつないでいる。いま自分の踏みしめているのが地面のはずなのに、頭の上にも地面がある。そこにも家や建物があって、橋を人や車が通っている。
たとえば、お茶の水の聖橋がそうである。外神田(神田明神)のほうからやってくると急に視界が開け、地面の下に地面がある。
反対に、丸ノ内線お茶の水駅の階段を上がって外濠通りから秋葉原方面を振り返ると、頭上の聖橋を流れていく車の列が見える。
坂の多い街にはときどき「地上の立体交差」がある。青山あたりでもよく見かけるし、パリなら5区(カルチェ・ラタン)の東側で見られる。
出くわすと不思議な思いにとらわれる。どっちが本当の地上なのか? 考えれば考えるだけ不思議である。
積年の問に先日やっと答えを見出した。上の地上が本物の地上である。地上の立体交差が現れるのは丘を削った切り通しの場所である。
聖橋の下を流れる外堀は徳川幕府江戸城の守りを固めるために掘削したものである。外濠によって内神田と外神田に分かれる前はひとつの丘だった。聖橋の上から外堀の水面を見下ろすと脚がすくむほど低い場所にあり、掘削が大工事だったことがわかる。
だから削り取られてできた外堀通りのほうが新しい地上である。
この聖橋で交差するのは地上と地上だけではない。外堀の水、外堀沿いを走る中央線、あろうことか丸の内線まで地下から地上に顔を出し、立体交差に参加している。
現実が多重化している。たったひとつだと思われた現実が実は複数だったということが判明し、気分は一挙に現実離れする。
さらに不思議なことに橋の上から南を見るとロシア風のドーム屋根ニコライ堂があって、北を見ると中国風の湯島聖堂がある。そして、聖橋の大理石の欄干にも昭和初期のモダニズムが感じられてなつかしい立派さがある。まったく空想的な眺めだけれど、ロシアも中国も昭和モダンもすべて現実である。
ジョサイア・コンドル(先日ピクニッケした古河邸の建築家)の手によるニコライ堂の洋館情緒に心惹かれて歩いていくと、近づけば近づくほどドーム屋根は視界から消える。
この聖橋の通りも切り通しになっていて、ニコライ堂の脇を通るときに建物は丘の上にあって見られない。ニコライ堂がいちばんよく見えるのは聖橋の上である。
不思議さは聖性へとつながる。だから聖橋という名がついた、わけではないが。
写真は水道橋のほうへ外堀通りをいったところの北町公園。聖橋と同じ関東大震災の復興事業として昭和初期に建設された貴重な近代建築であるが、いま廃止の動きが出ている。