続龍

projetdelundi2008-01-26

きのうのつづき。
問題の手洗い場である。(写真の中央にちいさく見える)
水が出ているのは龍の口ではなく、溶岩が冷え固まったような岩に穿たれた穴からである。この岩は見ようによっては龍に見えなくもない。
そのときやっと本で読んだことを思いだしたのだが、手洗い場の天井に龍の絵が描かれているのだった。それがいつのまにか無意識において変転して龍の口から水が出ることになっていた。
たしかに目黒不動の滝(それは不動の滝という名前だったと思われる)は、龍の口から水が出ている。それとごっちゃになった可能性もなくはない。水場には龍のイメージを施されることが多いのにはなにかいわれがあるのだろう。滝という字もさんずいに流と書く。あれは水面が割れ、空高く龍が飛翔していくイメージを滝に見ているのであろう。
手洗い場にかけられたちいさな屋根の天井を覗き込むとなにやら絵があった。墨なのか絵の具なのか緑色に変色し薄れて天井自体の木目が透けて見えほとんど判別不可能ながら龍のようなものが描かれている。わたしが見ていると通りがかりのおばさんもそこになにかあるのかと気づいて見上げはじめ、しばらくふたりして同じことをしていた。
「あ、龍か」とおばさんは見上げながら口を切った。「何回かきているんだけど龍が描かれているなんてはじめて気づいたわよ。ここに口があってここに目があるんじゃない?」
「どこですか? 口はわかるんですけど目はどこですか?」
「口のこっち側のところに」
おばさんが指差すほうに目なんて見えないのだった。妙な形に歪んだ口ばかりがかろうじて見え、そのあとは蛇腹があって、雲のなかから龍が首を突き出しているようにわたしの目には見えなくもない。
「お岩さんみたいな顔をしているわね、この龍は。四谷怪談の」
そうは見えないながらなんとなく相づちを打っていたわたしはすこし経ってようやくおばさんの言っていることに納得した。実は龍は二匹いたのである。わたしたちはおのおのちがう龍を見ていたのだ。
「龍は二匹いますよ」
「本当だ。夫婦(めおと)龍ってこと? そんなのないか、あはは」
おばさんは去っていった。
帰り道、ふとしたはずみに洒落だと気づいた。お岩さんみたいな顔をしているのは、溶岩に似せているからではないだろうか。溶岩を見てこれはなんだろう? と思いながらふと上を見上げると顔がでこぼこの龍が目に入って、なるほど龍かと納得する仕掛けではないか。
わざわざ凝った仕掛けを作ってわかる奴だけわかればいいという投げやりさ、説明のなさが江戸の粋というやつなのか? 
この解釈もまた無意識の変転による飛躍かもしれないのだが。