浜離宮のつづきのつづき

projetdelundi2008-04-20

入口から菜の花の匂いとともにボーという音が幾度か聞こえていた。汽笛の音にはちがいなかったが、こんなビルの谷間でどこから聞こえてくるのか知れない。
進むにつれ菜の花の匂いにかわったのは磯の香りである。たんぽぽの辺りを抜けていくと波止場が見えた。浅草から竹芝へ通う水上バスの途中駅だ。川を下っていきなり浜離宮に船をつけ、たんぽぽや一面の菜の花を目にしたらそれほど視線の贅沢はないだろう。
事実、波止場の横にはお上り場という海に面した石段があって、かつてはここから徳川将軍が上陸し浜離宮に遊んだのだという。最後の将軍となった徳川家慶も、鳥羽・伏見で敗れたあと軍艦で逃れこの場所から江戸に上陸している。
けれども、いまや海とはいっても目の前には防波堤があって、その向こう側には倉庫や高層ビルが建ち並んで景色は少しも海らしくない。それでも五感は海を感じている。晴れ渡ったおだやかな日に心地よく肌をすり抜けていく海風も、潮の香りも、ここがまぎれもない海辺であることを伝えてくる。
ときおりクルーザーや水上バイク(正確にはなんと呼ぶのか?)がしぶきをあげ、波をたてながら目の前を通り過ぎ、潮風を送ってくる。自分はいま海にいるんだという無邪気な興奮が鈍くではあるけれど血管のなかを走り抜けていくのを意識した。
子供の頃、はじめて海を見たとき以来、強弱の差こそあれ、海を見ると必ず同じ興奮にとらわれるのはなぜなのだろう。人類の祖先が海からやってきたことがDNAに記録されているからではないか、と大げさなことでも考えてみないとその謎に答えられそうもない。
そして気づいたのだが、浜離宮は海に浮かんだ公園である。海に緑の島が浮かんでいる。江戸のひとびとはこの大胆なイメージを現実に変えた。