マリアに出会う

projetdelundi2008-05-29

聖アンセルモ教会の壁面にも十字架の道行がかけられている。普通の教会にあるものとは少しちがっていて、鉄の彫刻によるものだった。キリストが犠牲となるまでの14の場面が抽象化されて描かれている。
例えば、イエスが衣をはぎとられる場面(第十留)は奪いとる手と布、十字架につけられる場面(第十一留)はクロスに打ち付けられたくさびと茨の冠のみによって表現される。
鉄に塗られた光沢のある黒とざらざらした赤錆。わずか2色のミニマルな彫刻は贅が削がれ切り詰められているゆえに、キリストの教えのなかのストイシズムと響きあって、リアルな絵よりかえってこころを打つ。
金属の質感は冷たいはずなのに、伝わってくるのはむしろ反対のものである。素材を扱う作者の手つきやモチーフを見つめる視線にやさしさが感じられるからだろうか。
この彫刻は教会の設計者であるアントニン・レーモンドの妻、ノエミ・レーモンドによるものである。(作者が女性であることを知ってこころのなかにさらに広がってくる感興があった。)
14の場面のうちわたしの妻が写真におさめたのは「イエス、母マリアに出会う」(第四留)。描かれているのは女性の象徴とも見えるヴェールと、泣き濡れた瞳を隠す2つの手。長い指が優美で女性らしくはあるけれども、でこぼこした甲は苦労を重ねたひとの手であることを告げている。
たったひとりの子供に死刑が宣告されひとびとに辱められる。けれども助けだすこともなにもしてあげられずただ涙するほかない。その母親の悲しさはどれほどのものだろう。聖書が伝えるメッセージの原点には愛の深さの反作用である大きな悲しみがセットされている。自分の子と引き離されること以上の烈しい感情をわたしは想像することができない。その地点からひとの愛に思いをいたせということなのだろうか。