黒猫

projetdelundi2008-06-05

多摩川台公園に黒猫がいた。それも2匹。両方とも黒というのは親子なのか兄弟なのか。
上等のスエードのように黒光りして、触るとつるつるさわさわと気持よさそうで、真っ黒のなかに目だけ黄色く光らせている。黒猫は日常よく見かけるものなのに、日常から逸脱するような存在感があって、すごいものだ。
だから黒猫をじっと見たりいっしょに戯れたりする気にはならない。存在感がわたしのキャパシティを越えて怖いというほうへ振れてしまう。
前に塀の上の黒猫をビデオに撮ったことがある。黒猫もカメラが気になったのかずっとレンズのほうを見ていた。わたしももちろんモニターをずっと見ていた。だからカメラを介してわたしたちはにらめっこしていたわけである。カメラのカウンターにそのカットは4分とか5分とかという時間が表示されていたと思う。その時間だけわたしたちは見つめあっていた。
家に帰ってそのビデオを再生してみたら、モニターのなかに黒猫がいるみたいだった。テレビのなかに映っているひとの実在感というのは現実にそのひとに会っているときより当然薄まっている。けれどもその黒猫はむしろモニターのなかに入ってますます存在感を増すようで、そのビデオを再生するたびに黒猫はモニターのなかに生き返り、わたしは何度でもその黒猫とにらめっこをすることになる。
モニターのなかの黒猫の目は見るたびに鋭さを増し、わたしの目から入ってこころのなかまで突き刺し、へなへなにし、何回目か見たときについににらめっこに敗れて途中で目をそらし、以来黒猫を正面から見ることができなくなった。だから妻がこの写真を撮っているあいだわたしはすこし離れたところで待っていた。
でも今度6月のピクニッケの撮影でいったときに2匹の黒猫がまたいればいいなとちょっと期待している自分もいる。