マリア園

projetdelundi2009-04-23

マリア園は築百年の、修道院として建てられた建物である。いまは両親のいない(あるいはDVなどで両親と同居できない)子供たちのための保護施設となっている。
建物と子供たちは共生している。この歴史的な建物は痛みが激しく、一時取り壊しも検討されたという。一方、子供たちも誰かの愛情がなくしては生きていけない。
この施設に入るととても穏やかないい雰囲気を感じる。学校や病院などの公共施設によくある殺風景さはまったくない。以前にも述べた、建物が呼吸して人の呼吸と混じりあって丸くなっていくような感じと、また戦前のいまよりももっと建築が職人技に依存していた時代の人の手で作られた感じがある。
それはきっと目には見えないけれど、傷ついた子供を癒すためにどれほどか役に立っているはずだ。
建物も自分が役立てるために子供たちを必要とし、子供たちも自分のすみかとなるこの建物を必要としている。そうした意味で共存共栄の関係にある。
毎日テレビや新聞を見れば悲しいニュースが流れる。見ないとしても、目で、肌で、この社会には不幸な現実がたくさんあることが感じられる。しかし現代のたくさんの問題は、実はなにかとなにかが切り離されていることによるのではないかと思っている。その切り離されたものをつなぐことによって問題の解決の糸口ぐらいはつかめはしないかとよく考える。
抽象的な書き方になったが、マリア園に行ったあとで、そうした子供たち、あるいは困っている人になにかできないかと思った。お金という手段はむしろ人を引き離す。そうではなく、つながることによって、施すのではなくて、私自身もまた救われるのではないかと。
私は入口脇の聖堂に入り、そこで施設の方のお話を聞き、辞去した。子供たちの姿は見なかった。本当は会いたかったが、「プライバシー」とかそういう言葉が頭に浮かんで、踏み込めなかったのである。しかし、帰ってから、以上のようなことを思いはじめた。