祈念坂

projetdelundi2009-04-24

大浦天主堂の横に石畳の細い坂道がある。
このあたりは長崎を訪れる人なら誰でもやってくる観光地で、市電の駅から天主堂の前まではみやげもの屋が並んで、大勢の観光客でにぎわっている。
しかし、この細い路地に入れば人影もほとんどない。
正面から見るのとは別の表情の大浦天主堂。墓地と斜面にへばりついた小さな家。なぜこんなところにまでと思われるほど丘の上まで住宅はつづく。
私が長崎に行く前に、長崎の五島出身のある神父様が教えてくれた。
「長崎では教会が生活とともにあるということがわかりますよ」
しかも、五島とか平戸とかある特定の地域ではなく、長崎県ならどこででもそうなのだという。ちょっと聞いただけではわかりにくい言葉だった。私は聞き返したが神父様はそれ以上の情報を教えてくれるわけではなかった。それは具体的ななにかを指し示す言葉ではなかったのかもしれないし、あえて私に先入観を持たせないために答えを言わなかったのかもしれない。そのために謎のように感じられて、私は折に触れその言葉を思い出した。
この風景もそのひとつなのかもしれない。
正面から見れば、大浦天主堂はただエキゾチックな、絵はがきのような風景に過ぎない。すこし裏にまわってみると、墓地=死と、ちいさな住宅=現実の生と隣り合っている。長崎では教会が数百年に渡って生と死に翻弄される人間の支えになってきたことを示すようだった。東京の風景の中で教会は唐突にその場所に降ってきたという印象を受けるのだが、長崎ではその土地から生えてきたような、決して場所と切り離せないものとして見える。そこに暮らす人びとの心と結びついているということなのかもしれない。