projetdelundi2009-04-29

長崎は坂の町である。海に山が迫ったところに作られた町。
きのうの西坂教会から山沿いにつづいていく道は浦上街道と呼ばれる。京都からみせしめのようにして長い道のりを引き回されてきた二十六人の殉教者たちは、最期のとき、この道を歩いて死へ向かった。
江戸時代、唯一の世界との連絡路だった長崎へ向かうこの街道は多くの旅人が行き交う大動脈だったはずだが、信じられないほど狭い。むかしはいまとちがって海岸線は山裾に迫っていて、おそらく街道は崖のようなところを通っていた。
たどってみると車の行き交っていた道は狭くなり、両側に小さな住宅が並び、やがてアップダウンを越えるために階段すら現れる。長崎への道は狭くて険しい。そのことを自分の足の裏で実感してみると、二十六聖人の出来事にとどまらず、長崎からはじまっていった歴史のうねり(キリスト教であり、蘭学であり、文明開化であり)がちがった重みを持って迫ってきた。
写真は浦上街道から路地を上っていったところ。長崎の階段ではどこでもつまずきを防止するためか白線が塗られて、夜に散歩すると光っていた。そしてよく猫を見かけた。
なぜ坂が自分にとって興味深いのか、長崎の坂をのぼっていて気づいた。見下ろしたり、見上げたり、町を見る視点が変わるということもひとつ。そして、坂には曲線があって、どの坂も同じではないということ。右にいったり、左にいったりすこしずつくねっている。その曲線がなぜうつくしいかというと、人間が自分でひいたものではないから。少しでも楽なほうへ、傾斜の緩さと距離の短さとの関数に従って、自然発生的に、無数の人が歩き踏み固めることによって決まっていったはずである。作られたのではなく、成ったということ。