食パンの謎

projetdelundi2009-04-30

次回の「パンラボ」は食パンを取りあげる(5月17日発売の『パニック7ゴールド』)
パン・ド・ミがあり、イギリスパンというのもある。どれも食パンのような姿をしているけれど、食パンと呼んでいいのだろうか。そもそも食パンとはなんだろう。
と思っていたら、パン・ド・ミの「ミ」とはフランス語の「身」のことだと、あるパン屋さんに教わった。食パンのような、皮ではなく中味を食べるパンはすべてパン・ド・ミなのだという。フランス人はバゲットのような、細長い皮ばかりのパンを好んで食べる民族だから、食パンみたいなやわらかくふくらんだパンを食べる伝統はない。フランスの粉はグルテンが少なくてふんわりとは膨らまないのである。パリのパン屋でもパン・ド・ミというものはほとんど見かけない。日本のほうがまだ見かけるぐらいだ。パン・ド・ミはドーバー海峡を越えてイギリスから伝わったフランス人にとってなじみのない異国の文化である。
食パンは18世紀のイギリスで発明された。その頃勃興した産業革命では、それまで手で作られていたあらゆるものが石炭のパワーを使って工場で作られるようになった。パンも例外ではない。巨大な石炭オーブンが薪窯に取って代わり、たくさんのパンがいっぺんに焼けるようになった。そのときに、どろんとした生地を丁寧に窯入れしていたのでは間に合わないし、丸いパンは場所を取る。四角い箱に入れてどかどかっとオーブンに突っ込めば能率がいい。という発想から食パン型が発明され、パンという食べ物まで工業製品となった。
イギリスでは食パンのことをティンブレッド(ティンとは金属の型のこと)とも呼ぶ。型に入ったパン生地はすべてが中味であるというのがイギリス人の認識だそうだ。食パンの皮は金属の缶であると。それで日本でも食パンの表面は皮といわずに耳と呼ばれるんだろうか。イギリスでは耳ではなく、かかとと呼ぶそうだが。
そういうわけで、食パンをイギリスパンと呼び、「中味のパン」と呼ぶのは正確である。食パンの定義は「型で焼かれた、中味を食べるパン」ということになるだろう。
食パンには山形と角形の区別もある。角形は金属の型にふたをしてそれ以上パン生地がふくらんでももちあがらないようにしたもの。イギリスパンといえば普通は山形であって、角形はイギリスパンと呼ばれない。角食パンは開拓時代のアメリカ人が好んで食べたそうで、客車の形に似ているのでアメリカの客車メーカーの名前を取ってブルマンブレッドとも呼ばれるそうだ(食堂車で食べられたパンだからとする説もある)。私たちにとって食パンといえば角食のイメージがあるのは、戦後の占領政策によって日本の食文化がすべてアメリカ化していったことと関係がありそうだ。
日本で硬いフランスパンが食べられるようになったのは最近の話で、パンといえば長い間食パンのことだった(私の子供の頃はまだそうだった)。日本にパンが本格的に伝えられたのは鎖国の解けた幕末のことだったが、江戸幕府と仲良くしていたのはフランス政府だったので、当時はフランスパンが焼かれたのだという。ところが戊辰戦争で官軍が勝つと、薩長と仲良くしていたイギリスが台頭して、イギリス人が多く移り住むようになった。日本でいちばん早く食パンを焼いたのはヨコハマベーカリーを開店したイギリス人だった。
明治初期の日本人はパンなんかあまり口にしなかっただろう。発酵の匂いもたよりない味もなんだかよく理解できなかった。そうした日本人にパンを食べさせようと木村屋があんぱんを作ったことは以前あんぱんの回のパン・ラボで書いた。それはきっと饅頭の延長として日本人にも理解しやすかったのだと思われる。本当はプレーンなパンが先で菓子パンがあとにくるのが本当だが、日本では菓子パンが先にパンだと思われてしまった。そこで食事用のパンのことをわざわざ区別するために「食パン」と名づけたのではないか。食パンとなぜ呼ばれるかについては諸説あるようだが、主食パンの意味というのが正しいのではないかと思う。
主食パンだというならばフランスパンだって食パンと呼ばれたっていいのではないだろうか。でもそうならなかったのは、きっと日本人が米食民族だからである。やわらかく炊きあがった白い米が日本人にとって主食のイメージなのであり、白い中味を食べるイギリス由来のパンのほうが好まれた。そのために明治の日本でフランスパンは食パンに駆逐されていった。
私は以前、知人に「なんでフランス人はフランスパンなんていうあんなに長いパンを食べるのだ?」と質問され、「表面積を多くして皮をたくさんにするためじゃないですかね」と答えたら、「中味より皮のほうが好きな人間なんているのか!」と驚かれたことがある。その人は食パンを食べるときも耳を取り外したくなる原日本人だった。私はバゲットも食パンも皮のほうが好きなフランスかぶれである。