ライ麦畑

projetdelundi2009-06-25

ライ麦は背が高く育つ。倒れやすいので密に植えることができず収量が普通の麦より少ないし、倒れた麦を刈り取るのもたいへんだ。需要が少なくて価格も高くない。普通に考えたら割に合う仕事ではない。だから、ここは日本で唯一かもしれないライ麦畑だ。
栃木県の上野さんは20年前、富ヶ谷のパン屋さんルヴァンの要望に応じてライ麦の生産をはじめた。ルヴァンは「国産」をコンセプトにしているお店であるが、国産のライ麦は手に入れようとしても存在していなかった。もし上野さんが引き受けなければ私たちは国産ライ麦のパンを食べることができなかったかもしれない。
ライ麦の収穫は年に1回、初夏。来週には刈り入れを行う。頭を下げている穂はすでに熟し、収穫可能な状態にある。
11月に種を蒔く。12月に本葉ができると麦踏みを行う。これは根を根付かせるためと、霜を乗り越えさせるためにする。人が一株一株足で踏むのはむかしの話で、いまはトラクターでローラーを引いて踏む。
「顔の見える人に作物を届けたい。種をまくところから1個のパンになるまでかかわっていたい」と上野さんはいう。いくら丹精を込めて無農薬で作っても、農協で一カ所に集められるシステムでは一般の作物といっしょになってしまう。
普通の農家は、農薬や化学肥料をどんどん使ってなるべく手をかけず低コストで、この畑は面積が何rあるから何俵収穫があるだろうと算盤をはじくような、経済中心に考え方をする。それが今の農業の主流である。
でも、パンを作る人、食べる人の顔が頭の中に浮かんでいたら、その人たちをよろこばせたいということをまず第一番に考え、お金のことは後回しになる。そうでなくては本気で農業に取り組む気にはなれないし、やりがいもない、というのが上野さんの考え方である。
上野さんは米を400種類も作っている。いまはほとんど栽培されることもなくなった幻の品種を集め、絶滅しないように毎年種を採り、機械も使えないので手で植えつづけている。これも決してお金で価値を計れない貴重な取り組みだと思う。
この中には「原爆稲」もある。原爆投下から二ヶ月ほど過ぎた頃、浦上天主堂の近くの田んぼで焼け野原の中に稲が自生しているのを九州大学農学部の調査団が発見し、植え継いできた。上野さんはこのことを知り、人々の心の中に原爆の記憶をとどめるため自分の田んぼに「原爆稲」を植えたのだった。
話は変わるが、私は『ライ麦畑でつかまえて』を高校の頃に読んでたいへんにかぶれてしまった。自分と同じような登校拒否の高校生がでてきて、友人や大人のすることになにもかも反発を覚える。高校も首になってしまうし、できる仕事も思いつかない、恋人にも親にも違和感を感じる。行き場をなくなって精神に異常をきたす、というそんなあらすじだったと思う。
ライ麦畑でつかまえるのは何かというと、子供である。写真のようにライ麦というのは子供の背丈より高く伸びる。主人公の知っているライ麦畑の先は崖になっていて、鬼ごっこをする子供たちが見通しがきかずに足を踏み外して転落することがときどき起きる。そういう子供を助けるために高く穂が伸びる時期にはライ麦畑の端っこでまちかまえて子供をつかまえたい。そういう仕事に自分は就きたいと独白する。
私は『ライ麦畑』に深い共感を覚えたが、安易なヒューマニズムのように感じられこの部分が理解できなかった。でもそう感じたのは私が子供すぎたせいだ。
子供を持つ年齢になってようやく私も「ライ麦畑でつかまえ」ることができる人間になりたいと願うようになった。いくら無力な自分でも心得しだいでは人の役に立てるかもしれないと。
だから、ライ麦を作っている上野さんが、お金のことを後回しにし、食べる人のことや命のことを考える農家だったということは、とても感慨深いのである。